とある地方公務員のブログ

このブログでは地方公務員が日々考えたことや思ったことをなんとなく書きます。

まちづくりにおいて「ホームレス」は地域住民ではない?

 

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仕事が終わりふと公園をみえると、ホームレスらしき男性がカップ酒を片手に何かを眺めているようなうつろな目で空を見上げていました。

思い返せば、私は大学生のときにホームレス支援のボランティア活動もしていることもあり、ホームレス、路上生活者に対しては思うところがいくつかあります。

しかし、一般の住民にしてみると、ホームレスは同じ住民とは見ていないのかもしれません。

 

ホームレスは危険な存在という誤解

ホームレスに襲われる、治安が乱れるという不安をお持ちの方はいらっしゃいますし、当然の心配だと思います。確かに自分の家の近くの公園が大勢のホームレスがいるとしたら、お子さんをお持ちのご家庭は心配するでしょう。

 

しかし、実際はホームレスに接してわかるのは、別に周囲の人間に害を与える気は全くなく、むしろ、都市部ではホームレスが襲撃されたり、いたずらをされたりする事例が多く見られます。それに、ホームレスの平均年齢は年々高齢化が進んでおり、体力・気力ともに衰えていることも忘れてはいけないポイントだと思います。

 

また、ホームレスは社会と距離は置いているものの、人によっては話しかけると気さくに返してくれる人もいるので、一概に悪い人、危険な人というわけではないのですね。要は、ホームレスとはいえ、「フツーの人」であり、口下手な人、難しい人、陽気な人ということであるということです。

 

ホームレス=段ボールにいるという誤解

そももそ、ホームレスというと段ボールに住んでいて、橋の下にいる人々と考えている人も多いと思いますが、そのようなホームレスは地方社会においては非常に目につくので、実際は少数です。路上生活をしているという狭義のホームレスよりも、路上生活ではなく、知人の家を転々としたり、ネットカフェや24時間のお店で暮らしているホームレスの方が断然多いです。

つまり、ホームレスの定義を主たる居住場所がなく、住所不定の存在とするならば、今後の社会保障の受給、特に生活保護の認定にて住居がないというのは、担当者によっては弾かれる可能性があり、非常に不安定な状態といえます。

 

ホームレスの高齢化と健康問題

先ほど、少し触れますが、ホームレスも高齢化が進んでおり、同時に高齢化に伴う白内障や、不摂生による糖尿病や皮膚病という健康問題が深刻なものとなっています。当然ながら、ホームレスの方は国保の加入していない無保険者であるので医療を受けられずに、多少の痛みはごまかしながら生活しているわけです。

しかし、日本には生活保護制度があるので、それを活用したら良いのですが、住所が定まっていないということもあり、ケースワーカーも事務処理の関係で処理が難しいわけですね。とはいえ、住所が定まっていないからといって、生活保護を受給できないか?といえば、そういうわけでもないので、それは福祉事務所の対応によると思います。

 

また、低額診療所という無保険者でも医療を提供する医療機関もありますので、まだ社会的セーフティネットでフォローできる可能性は全くないわけではないのです。

 

お国の世話にはなりたくない

大学生の時に、ホームレス支援のボランティアをしていたと書きましたが、生活保護へつなげることも何度かしていたのですが、だいたいのホームレスの方は、そもそも生活保護受給を断るわけですね。理由はさまざまありますが、一番の理由は、お国の世話、お上に面倒をみてもらいたくない、というものです。

 

というのも、彼ら自身の意識として、ホームレスという今の立場に対して、何か後ろめたい、スティグマのようなものを感じているんですね。ホームレスになる方も、家族から逃げて来た人、借金取りから逃げてきた人、など県外出身者も多く、理由があって流れてきた人が多いわけです。

 

そのうえ、生活保護を受けると、ただでさえ回りに迷惑をかけているし、受給することで家族に身元がバレるという心配で受給をためらってしまい、生活保護につなげようにも、なかなか難しくなります。

 

よって、ホームレスになった一人ひとり、ドラマがあって、何かしらの理由があって今のような境遇になっている、その前は、「フツーの人」だということです。

 

まちづくりにホームレスは邪魔なだけ

市役所は、定期的に大学の先生を招いて講演会を開催するのですが、職員も動員指示があり行く機会がありました。確かタイトルは「子どもが笑顔になれるまちづくり」みたいな、ものだったと思います。

 

講師は某大学の都市工学専門の教授で、専門は都市工学を活用したコミュニティだったと思いますが、講演会の中身を要約すると、ある街の公園はかつて、ホームレスがいることで治安が悪く、周囲の子供を持つ家庭は不安の思いをしてきた。そこで、住民と行政が協同して、公園の再整備に動き、同時に定期的にその公園でイベントを開くことで地域コミュニティの活性化につながった、というものでした。

 

これは、都市公園整備における一つの成功事例として、おそらくググった出てくると思いますが、この話の影の部分は、その再整備によって行政はホームレスが居れないようにベンチに柵を設置したり、長時間の利用を警告する看板を設置したり、徹底的にホームレスが居れないにしました。

 

これは全国な流れなのですが、ホームレスはまちづくりにおいてはただの景観を乱す存在のようにしか映っていないのか、まちづくりの中では路上生活者への対応として、構造的に居れないように作っています。

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まちづくりというのは、住民によって作られるものですが、ホームレスは地域住民ではなく、あくまで排除する存在としてとらえるならば、確かにクレバーな選択かもしれませんが、誰でもわかるようにそれは根本的な解決ではありません。悪く言えば、ホームレスを邪魔なものとして、隠して、綺麗に見せているだけです。

 

地方都市はだいたい観光に力を入れていることもあり、観光地近くは特に景観保全のためにホームレスを徹底的に排除する傾向にあります。しかし、行政は観光振興以前に地域住民の福祉を守るということが使命のように思えるので、ホームレスの居住支援を同時進行に進めるべきだと思いますが、。。

 

どんな「まち」を目指すのか?

かつて、まちづくりといえば、観光サイドばかりの意見ばかりが尊重され、街のにぎわいということでさまざまなインフラが「小奇麗」にされ、身の丈にあわない巨大なビルを作ったり、果ては安易に県外資本を入れることで県内資本を弱体化させてしまうなど、「お手軽で美しい」をしてきたと思います。

 

今後のまちづくりでは、高齢化が進むということもあり、いかに公共交通を守るか、というモビリティの確保や、障碍者に配慮したバリアフリーの整備といったところにシフトしていくべきだと個人的に思いますが、ホームレスに代表されるような貧困層低所得者層といった「サイレントマイノリティ」の声をなかなかまちづくりに活かしきれていないのかもしれません。

 

まちづくりにおいて、マイノリティの声は捨象してしまいがちですが、基礎自治体だからこそ、きめ細かい視点を取り込んだものにしていきたいものです。